2014年05月12日

江戸時代の十間堀川、驚きの真実



佐賀市の中心市街地を流れる「十間堀川」

どう見てもきれいとは思えません。むしろ淀んだ感じがして流れも鈍いですね。
ただし、低平地である佐賀平野の中に、まっすぐした水路があるのは不自然です。

前回、このブログで紹介したワークショップの後に
佐賀新聞テレビ夕刊の取材があり、放送されました。


普段は何気なく見ている水路ですが、江戸時代の古地図にも出てくる
東西に伸びるまっすぐの水路には、当時の優れた佐賀藩の
治水事業が隠されていました。

十間.jpg


もともと佐賀城の外堀として作られた十間堀ですが、江戸時代の中期になると
戦闘用の堀が次第に必要性がなくなり、日常の運搬用の水路としての利用のために
大掛かりな工事が行われたと思われます。

証拠として、その当時の川に作られた港や水運の形跡が次々と発見されています。


1カ月ほど前に放送された佐賀新聞テレビ夕刊で一部を紹介しているので
その放送を見てください。
驚きの「江戸時代の十間堀川の姿」を垣間見ることが出来ます。


説明はみなくるSAGA理事の本間で、今回の十間堀川の姿を発見した本人です。

放送内容はこちらから。

※最初にCMが入ってますが、CMが見えたらご了承ください。



posted by 皆んな寄っといで at 11:11 | Comment(0) | 日記
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