今年度(平成25年度)のみなくるSAGAの活動は
「川と暮らし調査」を行っています。
その中で、佐賀市の中心地を流れる十間掘川が、実は江戸時代の
水運(船を利用しての川港を含む)に使用されていたのでは……という
歴史的な発見につながりそうな可能性を導いています。
埋もれていた史実を掘り起こすことになりそうです。
今の八幡神社から東の方の白山ビル付近までは川港で
全体的には「東は東佐賀町から、西は多布施まで」の約2kmの十間堀川。
川幅はその名のとおり当初は18mあったのですが、
それは江戸時代の古地図にきちんと描いてあります。
明治以降に埋められて現在の川幅(約5〜6mくらい)になっていますが
当時に想いを馳せるロマンをかきたててくれます。
2月中旬にこの件についてのワークショップを開催して、
各方面にお知らせしたところ、ご覧の新聞記事にもなりました。
▼まず事前に江戸時代の古地図で場所の確認。
▼その後に、実際に川を見に行きましたが、なるほど当時の名残りがあり
参加者の皆さんからも感嘆の声が上がりました。
旧佐賀銀行呉服町支店の南側の川は、「裏十間堀川」です。
裏十間堀川、紺屋川などは佐賀江川から通じて、江戸時代〜明治初期まで物資を運ぶ水運のための川でした。
十間堀川はもともと佐賀城の外堀として作られたので、スタート時点の意味合いが少し違いますね。
興味があられるようでしたら、次の記事にリンクしている「十間堀川シンポジウム」の動画を見てください。
川とくらしの調査ご苦労様です。
ここで耳寄りな情報をお知らせします。
佐賀城下の古地図が好きでよく眺めているのですが、
旧佐賀銀行呉服町支店の南側の川も古地図では川幅も広く水運に使用されていたのではないでしょうか?
また、高木町あたりにも比較的広めの水路が描かれており後年になって埋め立てられているようです。
以上、ご参考までに…。